2012年4月13日金曜日

コラム・エッセイ


震災非体験者の体験記(平成9年神戸弁護士会会報震災特集号に掲載)

1 その時
 その時,私は,司注研修所の寮の最上階の7階の部屋で,二回試験を目前に控え勉強をしていた。
震源から遠い埼王県和光市では何も感じなかった。
 2〜3分後,同期の友人から連絡があった。「つくちやん,さっき関西の方でえらい大きな地震があった
らしいで。」「珍しいな。どの辺かな。」「ラジオでは神戸が震源やって言うてるよ。」驚いてラジオのスイッ
チをオンにした。
 「1月17日未明,淡路島北部を震源とする大地震が発生しました。神戸市東須磨のマンンョンが倒壊
したという情報が入っています。新しい情報が� �り次第続報いたします。」ラジオは同文句のアナウンス
を延々と繰り返すばかりだった。「私は,須暦区の実家と尼崎市の婚約者に電話を入れた。電話器の向
う側で,興奮している有様が手に取るように分かる。幸いにして,家族らは全員無事で,家も潰れていな
いとのことだったので簡略に用心を伝えて電話器を置いた。
 寮の修習生はほとんど寝ている。この事態を何も知らないはずてある。私は神戸,大阪に住まいのあ
る寮生に片っ端から連絡を入れた。
 続いて阪神間に住む知人,友人等の安否が心配になり,次々 に電話を架けた,しかし,もう混線して
しまってつながらない。
 午前7時を回りテレビニュースが始まった。ブラウン管を通して初めて被災状況を目にした。映し出され
る画像は阪紳高速道路の倒壊の様子,伊丹駅の倒壊の様子,各所の家々の倒壊の様子等々だった。
ラジオの報道からは想像もつかなかった惨状である。住み潰れた神戸の街が変わり果てたのを見て一
時呆然となったが,すぐに途方に暮れた当地の人々の顔が思い浮かんだ。私は,「一人の神戸人として
駆けつけ,何かしなければならない。」という思いに駆られたが,同時に,何もでさない自分の無力さを
思い知った。仕方なく,ただただ画面に食い人るばかりだった。

2 研修所の当日
 司法研修所の新修習生寮の1階ロビ� ��にはハイビジョンのテレビが設置されている。大画面の前は,
早朝からものすごい人だかりだった。何人かが「君のところは大丈夫だったかい。」と声を掛けてくれた。
私の場合「大丈夫です。」と答えることができたけれど,A氏は自宅が全壊し,B氏は家族と連絡が取れ
ない状況にあったため,答える表情には憔悴と苛立ちの色が見えた。私は胸が痛んで,声を掛けること
とさえできないでいた。
 A氏らは,すぐに帰りたいと研修所に申出たが,研修所は,「本日の課題(起案)を終えてからでないと
帰省を許可しない。」とのこと。寮のロビーにざわめきが起こった。
 その日の起案を早々に終え,寮に帰ってテレビを見ると,出掛けには立っていた柏井ビルが完全に倒
壊していた。各所で火事が発� ��し,多数の死傷者が判明するなど,事態は深刻さを極めていた。
 A氏らは被災地へ帰った。
 夜を迎えた。他の関係者はどうすることもできないので寮に残った。皆それぞれ,修習生としての通常
の生活を維持するように努めた。意識的にそうすることで気を紛らわせたのである。ある人は黙々と勉強
を続け,ある人は早々に床に就き,ある人は麻雀をしたり鍋をつついたりしていた。
 そんな日常を装ったのは,被災地から遠く離れた研修所において,震災が基本的によそ事であり,単
なる一つの話題に過ぎなかったからかも知れない。テレビの中でしか知りえない遠い土地での出来事
だから仕方がなかりたのだが,そんな雰囲気の中で,被災者のように振舞うのがなんとなく憚られるよ
うな気がしてい� ��。
 その時の私の心境は何とも言い難い。例えれば,沈没船に乗った仲間達を一人対岸から眺めている
ような,あるいは,舞台の上にいるべき演者の私が間違って観客席にいるような,そんなもどかしいよう
な,申し訳ないような思いであった。

3 その後
 私は,2月4日,被災地へ一旦帰ってきた。青木から板宿まで歩いた。目に映る風景は,言葉どおり
想像を絶していた。しかし,一方で,帰るべきところへ帰ってこれたのだという安壌感を感じたのも事実
である。被災地の状況を脳裏に焼き付け「何かをしなければならない。」という思いを強め,再び上京し
たのだった。
 しばらくして,同期の修習生から「ボランティアの口を紹介して欲しい。」と申出を受け,私が,ボランテ
ィア志願者を取りまとめることになった。あらためて募ったところ,約90名の参加希望者があった。震災
から約半月が過ぎ二回試験が迫り,研修所での話題は試験のことばかりで,震災の話題は少なくなっ
ていたのだが,私と同じ思いをしている者が少なくないことが分かって勇気付けられた。希望者のうち,
何人かが「修習生として法律相談をしたら役に立てるのではないか。」と言っていたので,法律相談をす
ることも含め,有志の修習生とボランティア活動の内容を策定することにした。


灯台は何をしている

4 研修所・神戸弁護士会
 大学受験を控えたC氏のご子息が家を失い,受験勉強に支障を来したので,C氏の部屋に入居するこ
とを許可してくれないかと願い出た。ところが,研修所は,前例のないことを認める訳にはいかないとし
て,この申出を却下した。そんな出来事があった。
 それと前後して,私たちのボランティアの計画が知られるところとなり,研修所に動きがあった。まず,
ボランティアを募るチラシの掲示が不許可になった。続いて,私は,研修所から呼出を受け,説明を求め
られた。「君たちはボランティアをするということだが,その活動内容に法律相談が含まれているのは本
当なのか。」「そのとおりです。」「 非弁活動にあたらないか。」「報酬を得る目的もありませんし,業として
行う訳でもないので問題ないと考えています。」「修習生に法律相談が出来るのか。」「法律相談といっ
ても,修習生ですから,弁護士と同じような相談をするつもりは毛頭ありません。いわば,力ウンセリン
グ・脳み事相談というレべルに留め,相談者にも十分な理解を得て行うつもりです。」「研修所としては,
修習生の相談内容に責任が持てないので,君たちの考えには消極である。ただ,被災地で修習生の
法律相談の需要があるということであれば斟酌してみてもよい。」
 私は,就職先事務所を通じて,神戸弁護士会の役員の見解を聞いてみた。神戸弁護士会の意見は,
「法律問題は日々複雑化しているので,修習生が対応でき� �ようなレべルの相談は少なくなってくると
思う。法律相談は,弁護士の横で傍聴する形から受け入れてもよい。それ以外の相談は公式に認める
わけにはいかない。」というものだった。事実上,法律相談の線は消えた。研修所との問題は一段落し
たものと思われた。
 しかし,研修所は再び私を呼出し「ボランティアをしたいという君たちの気持ちは大変結構であるが,研
修所としては,修習生のボランティア活動そのものに責任を持てないので,ボランティア自体を認めるこ
とはできない。」と方針を変化させていた。「しかし,ボランティアは個人的に自主的に行う活動ですか
ら,研修所から許可を得る必要もないし,制限を受けるいわれもないと思います。」と反論すると,「試験
終了後は,事由研究� �なっているが,ボランティアを自由研究と見なすことはできない。また,遠方に出
る場合は旅行届けを提出しなければならない。」という。「旅行届を提出したら許可を出してくれるのです
か。」「旅行の目的を審査して判断する。」「では,旅行の目的がボランティア活動だとしたら許可される
のですか。」「仮定の話はできない。」
 研修所は,その後,ボランティア参加希望者を調査し,その自宅に直接架電して旅行届けを提出する
よう指示するなどして圧力をかけてきた。しかしそれでもボランティア参加希望者のほぼ9割方の修習生
が被災地の土地を踏んだ。被災地のことを真剣に考え,圧力にも屈せず尽力してくれる仲間が多くいる
ことを,一神戸人として非常に嬉しく,また頼もしく思った。

5 ボランティア
 試験が終了してから約二週問,私は,神戸大学の避難所で風呂焚きのボランティアをした。神戸大学
には大学生の組織する「神戸大学学生震災救援隊」という団体があり,その下で活動が展開されてい
た。全国各地からの参加者が泊り込み,修習生だからといって特別視されることなく,また,年齢の垣
根もなく,高校生とお互いにタメ口で話す雰囲気に心地好さを感じた。原始的かつ精力的な毎日の生活
は研修所の寮生活とは180度異なっていた。若者の剥き出しの正義感を肌で感じた。新鮮な体験だっ
た。
 私の担当した風呂焚きボランティアというのは,解体廃材なたで薪割りし,ドラ
ム缶で湯を沸して,バケツリレーで風呂桶に運ぶというものである。力仕事が中心な� ��で毎日の食事は
うまかった。風呂の設備は,全て手造りなので日用大工ばかりしていたような気がする。避難所の被災
者の方々と触れ合いながらの活動は楽しく,無心に打込むうちに,研修所でのもやもやした気持ちが霧
散していった。

6 弁護士登録
 しかし,ボランティアで,自分が役に立てたかどうかについては甚だ疑問を感じている。自分の費やし
た労力時問の割に被災者の方々にもたらした便益はあまりにも小さかったと思う。ボランティアの経験を
通じて,私は,自分にしかできないこと,あるいは,より役立つことは何かということを痛切に考えさせら
れた。
 弁護士としての未来図は,全くの白紙であったが,そこには端的に「困っている人を助ける」という側面
がある� �め,この点に大きな誇りを感じて弁護士としての第一歩を踏み出すことができた。
 しかし,今こうして思い出してみると,ひとつひとつの出来事が,確実に過去の事柄になり,登録時に
感じていた気持ちも薄れていっているように思う。
 被災経験のある者はいつまでもこの惨事を忘れることはないだろう。だから,復興に寄せる思いも当然
強くなる。しかし,それだけでは足りない。今後の復興に欠くことのできないのは,「被災体験のない者」
の熱意なのかも知れない。その意味で,震災を外から見ていた私の様な存在にも存在意義があるだろ
う。震災非体験者としての使命を肝に銘じつつ,震災復興に微力を尽くしたい。


 
「会えて,よかった」黒田清〜読むと泣いてしまう本
                    (平成14年兵庫県弁護士会会報に掲載)

1 私が奈良で修習をしていたころ,付添人の高野弁護士がこの本を少年に差し入れて感想文を書
かせていたのがきっかけで,初めて手に取りました。その当時,何度も感動して泣きながら読んだのを
覚えています。私も,弁護士になったばかりのころ,何度か先輩の受け売りで被告人達に差し入れて読
ませたことがありました。しかし,忙しくなってから,そのようなことをすることもなくなり,またこの本のこ
とも忘れていました。
 今回,この欄を担当することになりましたので,数年ぶりに手に取って読んでみることにしまし� ��。

2 著者は「黒田ジャーナル」の黒田清氏で,彼が取材などを通じて知り合った人々の,喜びや悲し
みなどに触れた感動のエピソードを,それぞれ7〜8頁の短文で25話綴ったものです。はしがきにはこ
う書いてあります。『書きながら深い感動に包まれて,涙が溢れてくる時もあった。書き手がそうなのだ
から,おそらく,読まれるあなたも,どこかで堪えきれなくなり,涙で頬を濡らされるに違いない。だから,
この本はできることなら電車の中などで読まず,一人いるところで心静かに読んでいただきたい。』私
は,今回,著者の指示に従わず豊岡へ向かう車中で読んでしまいましたが,予言されたとおり深い感動
に包まれて涙で頬を濡らしてしまい,向かいの席の人に知られないよう何度も車 窓を眺めるフリをしてご
まかしていました。


人種差別とは何を意味するのか

3 具体的な内容は,障害や差別に立ち向かう人々や,それを乗り越えて幸福や感動を得たエピソー
ドの数々です。私は,それを上手に伝えることができませんが,障害をもった高校生が水泳大会でもが
き苦しんでいる姿に思わず服のまま飛び込んで応援する校長先生の暖かさ,差別を乗り越えて結婚に
至る男女の心やこれを支える家族の愛情,不良で荒れた息子が結婚式で苦労をかけた母親への思い
を口にしようとして胸を詰まらせるシーン,父が受刑した事件をバネに警察学校を主席で卒業した息子
の話,余命いくばくもない乳児の弟を一生懸命元気づけようとする幼いお兄ちゃんの姿,戦死した夫に
対する尽きることのない思慕の 念など,どれも胸を打つものばかりです。

4 今回,このような本を読むことにしたのは,理由があります。
 弁護士をしていると,どうしても感情を抑えて,時には冷徹に,時には事務的に事を進めなければなら
ないことが多いのが実情です。そのこと自体の当否は別として,人間としての私の心の感性が錆ついて
いないか心配になってきました。依頼者や関係者の訴えに共感できなくなってきたり,人の生き死にに
関わる事件を「よくある事件の一つ」としてパターン的に処理していくことに疑問を感じたのかも知れませ
ん。
 しかし,実際にこの本を読んでみると,修習生だったころと同じように涙が溢れ出ましたし,むしろ,そ
れ以上の感動を覚えたような気がします。それは,私自身が、その 後きちんと仕事に就いて苦労をした
り,自ら結婚し家庭を持つようになったり,子が出来て親となったりする過程の中で,新しい感性を培っ
てきたからかも知れません。
 そういえば,最近は,ドラえもんや陳腐な時代劇などを見ていても泣けてくることがあります。そんな風
になったのは,自分自身が何か涙腺が緩む病気になるなどおかしくなってきたのではないかと心配して
いたのですが,そうではなく,新たな感性が備わってきたからなのだろうということが,今回この本を読む
ことで分かってきました。

5 これだと,あまり本の紹介になっておらず,自分の勝手ばかりを話してしまった格好となり,申し訳
ないような恥ずかしいような気がして恐縮です。ただ,以前に感動した本をあらためて 読むということは,
自己の認識を新たにする上で有益であるということはご報告しておきます。また10年ぐらいしたら同じ
本を読んで見ようと思います。
 みなさんも,若い頃に素直に感動した本を,あらためて手に取ってみてはいかがでしょうか(三五館出
版 定価1200円 全222頁)。


 
心の救援物資(平成16年Legal Information Mail Magazineに掲載)

 2004年11月30日,東京で『災害復興まちづくり支援機構』が,神奈川では『神奈川県大規模災害
対策士業連絡会』がそれぞれ立ち上げられた。近畿では『阪神・淡路まちづくり支援機構』が,静岡では
『東海地震対策士業連絡会』が既に設立されているが,これらはいずれも法律関連の異業種団体の連
携組織である。このように,大規模な自然災害に対する法律家による対策が次々に講じられているバッ
クボーンには,もちろん,今年の新潟県中越地震や,大型連続台風などの深刻な被害がある。突然の
自然の猛威に打ちのめされた被災者の方々の,怒りや無念を向ける先もない無力感に色塗られたつぶ
やきを耳にするたび,ただひたすら胸が痛むばかりである。
 ところで,神戸では ,ちょうど阪神・淡路大震災から10年目を迎えようという時期にあって,過去を振り
返る機会が増えている。先日は,弁護士会に,あるゴスペル歌手の方をお招きしてお話をうかがった。
彼女は,阪神大震災のとき,弟を喪い,自らのショックから立ち直るためもあって,無数に存在していた
避難所や仮設住宅の全てに訪問するミニコンサートを実施したという。歌う前は,「こんなときに歌なんぞ
歌ってどういうつもりや!メシや衣服が先だろうが!」と非難の声を浴びるのではないかと心配したそう
である。しかし,歌を終えた後に存在していたのは,たくさんの被災者の感動の涙と,熱い声援と,「歌
をきいて,はじめてご飯を食べた気がする」という言葉だったとのことである。歌だけでは,もちろん腹は< br/>膨らまないが,救援物資を口にするだけでも満たされた思いにはならない。感動という『心の救援物資』
によって心が満たされ,はじめて食事のおいしさが感じられるということなのだ。被災した我が身に重ね
合わせると,そのエピソードは胸を打つものがあった。
 行政に期待される物的支援や経済的援助は,私たちにできることではない。もちろん,弁護士が歌を
うたっても,それこそ「ふざけるな!」と怒られるのがオチであろう。しかし,心の救援物資というキーワー
ドは,私たちの仕事の根幹である「支え」の部分に直接重なるものがあるだろう。先が見えず,将来に暗
澹たる思いを抱いている人々を前にして,事件性がないから出番もないなどと自己の役割を否定するの
は誤りである。瓦礫の山を� ��にしながらも「そこには法の支配があり,法の秩序があり,法の救済があ
る」という存在感を示すことや,彼らに寄り添いながら共に歩もうとする姿勢さえあれば,それは十分に
心の救援物資となりうるはずである。
 全国で芽生えつつある冒頭のような取り組みが,さらに進められていくことに期待をしたい。



「市民が裁判をするということ」
       (平成16年Legal Information Mail Magazine,神戸先物被害研究会HPに掲載)

 裁判劇で被告人の役を仰せつかった。私の所属する弁護士会では,裁判員制度の市民向け広報の
ために年に1回裁判員劇をやるのだが,そろそろ私も中堅の域に入ってこの手のイベントは卒業かなと
思っていたところ,突然回ってきたのが犯人役。情けないことである。今回の劇は「義父殺し」と題して,
農家に養子に来た被告人が財産目当てに年老いた痴呆の義父を毒殺する,というおどろおどろしい内
容であり,被告人は一見いい人そうだが,裏で何をしているか分からんという人物描写。私が,妻の実
家で「私にぴったりの役だと言われた」と笑って話したところ,私の義父は固まっていた。

 さて,裁判員制度をめぐっては,様々なところで話題になってきてい る。法学部の大学生や,ロースク
ール生,受験予備校生などに聞くと,裁判員制度に対する消極意見が多数である。これは,「法律」とい
う難しい世界に,素人が入ってきて素人的判断を下すことに対するおそれや不信が主な理由のようであ
る。あるいは,「あなたが裁かれるとしたら,裁判官と裁判員とどちらがいいか?」と質問すると,多くの
人は「裁判官の方が信用できる」という答えを言い,やはり消極意見が勝ってしまうようだ。


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 しかし,今回の裁判員劇では,劇の後で,市民と裁判官(=弁護士が裁判官役をする)で構成する裁
判員評議体を5つ作って,実際に評議を行ってもらい,その内容を聞いてみると,第1に姿勢が真面目で
あり,第2に態度も真剣であり,第3に議論が分かりやすく,第4に視点に鋭さがあり,第5に意見に説
得力がある。日弁連が作った石坂浩二主演の裁判員の映画もあるが,実際に市民を呼んできてトライし
てみると,本当にあれと同じような雰囲気になるのである。私は,被告人役として,この評議を留置所で
はなく楽屋裏でこっそり聞いていたのであるが,こんなに真剣に議論してくれるなら,被告人はありがた
いだろう,と率直に感じた。

 その後の評� ��では,全ての評議体で無罪判決をいただいた。思わず弁護人役の先生と握手をしたと
ころ,会場から拍手が起こり,我が事のように嬉しく思った。ところで,その後,評決内容を確認したとこ
ろ,法律のプロである裁判官役に有罪の票が多いことが判明した。今後,私は「裁かれるとしたら,素人
の市民の方が信用できる」と答えることに決めた。


 
台風のシーズン(平成16年Legal Information Mail Magazineに掲載)

 台風のシーズンで,今年も大きな台風が次々にやってきている。さらに加えてよく地震が起こる。この
コラムを書いている今日のところは,朝方に淡路島を震源とする大型地震があり,夕方に台風18号が
関西に上陸した。「今年は異常気象だ」,「今年は観測史上最高だ」などというセリフは毎年聞かれる
が,これを言葉どおり受け取るならば,年が経つごとにどんどん異常さが昂じてきているということにな
る。世も末に近付いているんだなあと,実感せざるを得ない。
 ところで,台風や地震による被害は,その直後の物理的な被害よりも,日が経つにつれて深まってい
く生活被害が深刻だ。報道メディアでは,"絵になる"直後の状況しか報じてくれないので,ダメージを受
けた"絵になら ない"生活にスポットが当てられることは少ない。
 災害対応の専門家も同様だ。台風到来のど真ん中でレポートする記者を筆頭に,消防士,自衛隊,市
民ボランティアなどの活動は派手で格好よく"絵になる"し,すぐにイメージが持てるところである。これに
対し,ダメージを受けた生活を立て直すために,どんな専門家が関与しているのかというイメージは持ち
にくいだろう。
 実際の災害後の状況を見ると,避難生活に始まり,仮設住宅,復興まちづくり,経済的立ち直りに至
るまでの長い長い過程には,建築士,弁護士,土地家屋調査士,税理士,司法書士,不動産鑑定士,
行政書士,コンサルタントなど実に多種多様な専門家が入れ替わり立ち替わり関与している。これら専
門家の活動が"絵にならな� �"のは,活動自体がようやく認知され,最近になってその有用性が理解さ
れ始めたからである。災害対応における専門家へ寄せる期待が高まるにつれ,役割やイメージも定着し
ていくだろう。
 世は末に近付いているが,世紀末にこそプロフェッショナルの存在が重要になってくるのである。



当たり年 新春の弁(平成17年兵庫県弁護士会会報に掲載)

 24歳までの一回りは,どんなしんどいことでも正面から立ち向かってエネルギッシュに克服してきた。
36歳までの一回りは、ある程度しんどいことでも嫌がらず明るく受け止め,淡々と消化してきた。しか
し,これからはしんどそうなことはしんどいから,柳のように受け流していこうと思う。まあ,前向きに言う
と「めざせ自然体!」ということです。
 12歳(小学6年生)までは何回も転校して落ち着かなかった。24歳までは中学生,高校生,大学生,
予備校生,修習生とやはり落ち着かなかった。36歳までも,修習そのものが湯島から和光に移動して
落ち着かず,弁護士となったときは震災直後のドタバタで,その 後もイソ弁,独立,支部移籍,法人化,
転勤,事務所移転とやはり落ち着かなかった。きっと次の一回りも落ち着かないんだろう。もう覚悟しま
した。それが自然な流れでありましょう。
 24歳までは普通の食生活だったが,この世界に足を踏み入れた24歳以降の12年間は肉類やラー
メンばかり食って贅の限りを尽くしたから,たぶん体が悪くなったと思う。これからはできるだけ野菜を食
って,年齢相応の自然な健康体になりたいです。
 当たり年で思いついた事はこの程度です。無理にネタを考えないことも,また自然体なり。




私は演劇好き?(雑誌「凌霜」リレーエッセイに掲載)

 弁護士会では,しばしば市民向けの企画というのをやる。いろいろな目的で,お堅い企画から,ソフト
な企画まで様々あるが,定番の一つに「模擬裁判」とか「構成劇」というのがある。どういうめぐり合わせ
か分からないが,この1年余りの間に,私は,3度も出演することになり,多忙の中,わずかな時間をぬ
って,セリフを覚えたり演技を磨いたりした経過がある。今回は,その経験を紹介したいと思う。
 昨年の春は,「教育基本法改正反対 愛するものは自分で決める」と題する学園劇をやった。崇高な
理念を持った現行の教育基本法が改正され,愛国心や公共の精神を謳った新教育基本法が施行され
た時代における小学校が舞 台である。在日韓国人3世の少女が,クラスメイトから謂われのないいじめ
を受けて泣いている。教師らも,新しい体制に迎合して生徒らに愛国心を強要する。そんな中,教育基
本法の精神である「個人の尊厳」を大切にしようとする熱血教師が立ち上がる。そして感動の渦へ!と
いうストーリーである。なかなか法律家が考えるにしては,素晴らしい内容ではないか。劇そのものはた
いへん好評であり,市民への反響も大きかった。そういう劇で,私は,何の役を演じたか?実は,熱血
先生・・・ではなく,新体制に迎合し教頭にゴマスリばかりをする金満教師という端役であった。笑いを取
る役は一般には「おいしい役」と言われるが,こういうヒューマニズムあふれる劇での金満教師は,なん
とも寂しい限� �であった。
 しかし,この私の熱演が会内では密かに絶賛されていたのか,数ヶ月経った昨年の秋には「津久井さ
ん,主役をお願いするよ」というお声が掛かった。気分は悪くない。今度は,新しい裁判員制度の導入を
市民にアピールするための,模擬裁判劇をするとのことであった。今度の役は,あなたにピッタリだよ,
と言われてウキウキしながら渡された台本を見ると「義父殺し」とある?不信を抱きながら,「主役」が誰
であるかを確認したところ,犯人役ということである。またまたガックリである。さて,この劇のストーリー
を申し上げると,神戸市の山中で老人が遺体で見つかったが,義父の介護に疲れた養子が遺産目当て
に殺したのではないかと嫌疑をかけられて逮捕され,そのまま殺人罪で起� ��されたというのである。し
かし,養子は,認知症が進んだ義父が,誤って猫イラズを口にした事故であると主張する,というのであ
る。この中における主人公を簡単に人物描写すると,普段はたいへん献身的な養子であるが,かげで
は借金を作るわ愛人は作るわヤクザと付き合いがあるわ,とにかく悪いヤツという感じである。妻の実家
に行ったときに「善人の顔をして義父を殺すんですよ。私にぴったりの役だと言われましたよ。あはは。」
と話したら,私の義父が固まっていた。まあ,それはともかく,この劇では,市民の方々が実際に裁判員
になって,私たちの証言を聞いて有罪か無罪かを決めてくれる。私の渾身の演技が通じたのか,市民
の皆さんの真剣な討議の結果,私は無罪放免と相成った。これが ,せめてもの救いである。
 もうこりごりと思っていたところ,今年の春,今度は,少年法改正に反対する運動の一環として,少年
審判の劇をやることになった。この劇は,少年院送致の年齢下限(現在は14歳)が撤廃され,小学生で
も幼稚園児でも,法律上は少年院に送致であるという不合理さと,厳罰主義を見直すべきだという主張
を形にしたものである。ストーリーは,両親を嫌って家出をした小学6年生の少女が殺人未遂事件を起こ
したが,審判を通じて劇的に両親との関係が改善され,更生に向かうという分かりやすい筋書きであ
る。最初,私は,12歳の少女に殺される役だった。前回が犯人で,今回が被害者っていうのもあんまり
じゃないか,と言ったところ,配役を変えてくれて裁判官役とな� �た。しかし,セリフを見てみると,厳罰主
義の権化みたいな裁判官で,頭が固くて冷たくて思い込みの激しい人間で,私が普段の仕事の上で最
も苦手なタイプの役柄である。もっとも,与えられた役である以上,一生懸命やろうと思って,怒鳴ったり
大声を出したりしたところ,主人公の子役の女の子に怖がられる結果となってしまった。いやはやなんと
も。この劇も,感動を呼び,会場からはすすり泣く声も聞こえるほどだった。他の役を演じた弁護士は,演
技中に本当に泣いたりするものだから,私などは正直驚いてしまった。
 こういう劇のようなイベントは,若手弁護士が担当するのが通例である。私は弁護士10年目で中堅に
入ろうかというところである。お声がかかるのはありがたいが,そろそろ卒� ��したいものである。しかし,
最後ぐらいは,2枚目の正義の味方の役をやってみたいなどと思ったりする。ケジメがつかないので,も
うしばらくは続いてしまうかも知れない。



兵庫県弁護士9条の会設立に寄せて(兵庫県弁護士9条の会HPに掲載)

あたりまえだと思っているもの
それは、たとえば家族や愛、人間の尊厳、そして命・・・・・
私たちは、それを失ったときにはじめてそのかけがえのなさを知ることになります

若い私たちは「平和」というものもあたりまえのように受け止めてきました

しかし、今、私たちの平和の礎となっていた憲法9条が失われようとしています
平和は決してあたりまえに存在しているわけではありません
そうです、尊い命が数多く犠牲となって創られたのものが憲法9条
それをたった60年でなくしてしまっていいのでしょうか

かけがえのない「平和」をいつまでも護り、決して失うことのないように
私たちは憲法9条 を護っていかなければなりません
あたりまえのように「平和」を享受できる国であるために
そして、犠牲となった尊い命を忘れないために



 
報告 加藤周一氏講演会 『軍事力で平和は守られるか』 
                            (兵庫県弁護士9条の会HPに掲載)

1 2005(平成17)年2月18日(金),兵庫県弁護士9条の会が結成されました。結成のその日,
加藤周一さんをお招きして,『軍事力で平和は守られるか』と題する記念講演を開催しました。
2 ここで,みなさんもご存知かと思いますが加藤周一さんをご紹介しておきましょう。
 加藤さんは,「九条の会」(
さんは,おそらく現代日本の最高の知識人と思われますが,憲法問題についても造詣が深く,広い視野
と深い教養に裏打ちされた明晰な思考は,平和憲法の大切さを語る第一人者です。
 1919年9月19日生まれで,� �京帝国大学医学部卒の医師として医学研究のかたわら文学にも深
い関心を寄せ,文芸評論家・作家として活躍し,カナダ、ドイツ、スイス、アメリカ、イギリス、イタリアなど
の大学や、上智大学、立命館大学で教鞭を執って来られました。
 著作としては,「日本文学史序説」,「羊の歌」,「加藤周一著作集」(全15巻)や,朝日新聞に月1回
程度で連載しているコラム集「夕陽妄語」(セキヨウモウゴ/朝日新聞社)などが有名ですが,反戦的小
説として「ある晴れた日に」(河出書房),平和・憲法関連では,「戦争と知識人」を読む〜戦後日本思想
の原点」(青木書店),「ある晴れた日の出来事―12月8日と8月15日と」,「憲法は押しつけられたか」,
「いま憲法を考える〜講演と対話のつどい」(� ��ずれもかもがわ出版ブックレット),「加藤周一対話集5
〜歴史の分岐点に立って」(かもがわ出版)などがあります(参考
htm)。
3 2月18日の結成総会/講演会には,約120名もの大勢の方が会場となった神戸市中央区の
勤労会館に訪れました。会場はまさにムンムンと熱気に満ちた様相を呈していました。
 加藤さんは当年85歳にもかかわらず,そのことをすっかり忘れさせるような迫力と,鋭い語り口で,
様々な視点から次のようなお話をされました。

(1) まず,演題となっている平和と軍事力の関係について,いつの時代にも戦争はあるが,どの戦争も
「平和」が目的であると語られているが,本当にそうなのかという問題提起がありました。この問題を抽
象的に語っても意味が� �いので,具体的に起きた数々の戦争を例に挙げて考察してみようというので
す。
(2) 20世紀に起きた主な戦争だけをとってみても,第1次世界大戦,日中戦争,第2次世界大戦,米ソ
の冷戦,朝鮮戦争,ヴェトナム戦争,湾岸戦争,アルジェリア戦争,コソボ紛争等がありました。それぞ
れの戦争の目的が何であったのか,その目的は達成されたのか,経済的,地政的な意義があったの
かを一つ一つ丁寧に検証していく中で,それぞれの戦争において,はっきりとした目的はあったものの,
その目的が達されることはほとんどなかったということが浮き彫りになりました。
 これに対して,失ったものは大きく,単におびただしい数の人が死んだだけであるという結果も明らか
でした。
 また,軍事力の 均衡によって平和を守るという考え方は,双方の国家がそれぞれの軍事力を増強して
いくことにより,パワー・バランスがエスカレーションを起こし,戦争に向かっていくという図式も共通して
言えることであり,"バランス・オブ・パワー"がナンセンスであるとの指摘もありました。
(3) 加藤さんは,これらの検証について,@戦争の目的が何であるか,すなわち,公表された目的と隠
れた目的をそれぞれ正しく把握すべきであり,Aその場合,目的と原因を区別して考えるべきであって,
宗教・イデオロギーが目的なのか,市場・資源・労働力といった経済的理由が目的なのか,パワー・バ
ランス維持が理由であるのか,集団的自衛が理由であるのか,きちんと分析すべきであること,Bその
上で,戦争の結果と, 戦争の破壊力すなわち社会全体として大量殺人を行うことを公然に容認すること
の意義を考えるべきである,という視点を呈示しました。
 特に,朝鮮戦争,ヴェトナム戦争については,時間を割いて戦争の経過と原因を辿りながら,目的が
達成されずに無意味に人間が死んでいったという事実を冷徹に語っていきました。
(4) 加藤さんの視点が,日本人としての視野にとどまらず,広く世界的視野をもって語られていること
も,深い洞察を感じさせました。「すべての政府は嘘をつく」(I・F・ストーン),「戦争とは嘘の体系である」
(カルル・クラウス),つまり戦争は嘘から始まる,といったコメントは印象的でした(参考/「第二次大戦
中の日本政府が嘘をつきまくり、国民をだましつづけたことは、わ れわれの記憶に新しい。戦争に反対
するためには戦争に係る現実を知らなければならず、現実を知るためには嘘を見破らなければならず、
嘘を見破るためには権力とその手先によって操作された情報の矛盾に注意し、その不整合性をあきら
かにし、政府以外の情報源からの情報を利用し、一切の希望的観測を排除して、冷静に、客観的に、
知り得た情報の全体を分析しなければならない。それはすぐれて知的な仕事であり、まさに知識人の任
務である、といってもよいだろう。」(「戦争と知識人」を読む〜戦後日本思想の原点)より)
 また,外国から見て日本を攻撃する意味(メリット)があるのだろうか,少なくとも具体的目的は見当た
らないという指摘もありました。そうすると,外国から攻撃を受ける� �体的な危険性が考えられない現状
下で,抽象的な「おそれ」のみを理由に,自衛のための軍事力を増強することがナンセンスであるという
ことも明言されました。島国的感覚しかもっていない私たちに欠けている視点であると思われます。
(5) このような歴史的,政治的な動向を概観・分析を踏まえた上で,戦争と日本国憲法についてのコメ
ントがありました。
 憲法は,国民主権,人権尊重,平和主義の三原則を柱としていますが,これらの原則は相互に深く関
係をもっていて,切り離して考えるのは大変難しいものです。いいかえれば,人権を制限しなければ戦
争ができない,人権や平和を守るために戦争をするという大義名分は虚偽であると一刀両断しました。
 また,現行憲法は,その制定時には国� �も当時の政府も積極的に受け入れたもので,9条の戦力不
保持の宣言を定義さえ必ずしも明確でない自衛の名の下になし崩しにすることの危うさを指摘されまし
た。
(6) 最後に「私のお薦めは憲法9条です」との言葉で締めくくられました。
4 たいへん重たいテーマであったにもかかわらず,深い知性と教養に満ちたお話で,内容的に十
二分に満足しただけでなく,気持ちよい明快さと随所にウィットとユーモアをまじえた語り口に酔いしれた
1時間でした。
 私たちの結成総会にふさわしい講演をいただきました。
 加藤さんどうもありがとうございました
  (参考/新聞記事
*その後,加藤さんには,メンバー弁護士20名ほどが参加する懇親会にもご参加いただきました。加
藤さん� ��「こんなに大勢の弁護士を一度に見たのは初めてだ」とおっしゃって会場を湧かせました。



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